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第1章:契約の檻

Author: 佐薙真琴
last update Last Updated: 2025-12-10 19:03:38

 調整セッションが行われる部屋は、驚くほど普通だった。

 リョウが想像していたのは、研究施設のような無機質な空間だった。しかし実際に案内されたのは、まるで高級ホテルのスイートルームのような部屋だった。柔らかな間接照明。落ち着いた色調のソファ。窓からは東京の夜景が一望できた。

「ここで……調整を?」

 リョウの疑問に、案内役の職員は頷いた。

「センチネルとガイドの調整には、リラックスした環境が必要なのです。ストレスは能力の不安定化を招きますから」

 職員は部屋の奥のドアを指差した。

「あちらが寝室になっています。ベッドでの調整を希望される場合は、そちらをご利用ください」

「ベッド?」

 リョウの声が裏返った。

「調整に、ベッドが必要なのですか?」

「必ずしも必要ではありませんが」

 職員は平然と答えた。

「肌の接触面積が大きいほど、調整の効率は上がります。ですから、多くのペアは横になった状態で調整を行います」

 リョウは喉が渇くのを感じた。

 肌の接触。横になった状態。それらの言葉が、彼の中で別の意味を持ち始めていた。

「服は……」

「着たままで構いません。ただし、肌と肌の距離が近ければ近いほどいいので、薄着を推奨します」

 職員はタブレットを操作し、リョウに画面を見せた。

「これが標準的な調整の手順です。まず、手を繋ぐことから始めます。次に、額を合わせる。そして最終的には、抱擁の姿勢で全身の接触面積を最大化します」

 画面には、センチネルとガイドのペアが、段階的に接触を深めていく様子が図示されていた。最後の段階では、二人が完全に抱き合っていた。

「これは……」

「セクシャルな意味はありません」

 職員は断言した。

「あくまで医療行為です。センチネルの能力を安定させるための、必要な処置です」

 医療行為。

 そう言われても、リョウの心臓は激しく打っていた。

「では、氷堂センチネルをお呼びします。何か質問はありますか?」

「いえ……」

 リョウは首を横に振った。聞きたいことは山ほどあったが、どれも口にできなかった。

 職員が部屋を出て行った。

 一人になって、リョウは深く息を吐いた。手のひらに汗が滲んでいた。

 落ち着け。これはただの医療行為だ。感情的になる必要はない。

 そう自分に言い聞かせながら、リョウはソファに座った。窓の外の夜景を眺めようとして、ドアが開く音に振り向いた。

 氷堂カイトが、入ってきた。

 三日前に見た時と同じ黒いスーツ。しかし今は、能力の暴走による歪みはない。ただ一人の、完璧に整った容姿の男が、そこに立っていた。

 長身。鋭い目鼻立ち。黒い髪。そして何より、あの漆黒の瞳。

 カイトは無言でリョウを見つめた。その視線は、まるでリョウの内側まで見通しているようだった。

「初めまして」

 カイトが口を開いた。声は低く、しかし不思議な響きがあった。

「正式には初めて、だな。俺は氷堂カイト」

「御厨リョウです」

 リョウは立ち上がり、機械的に応答した。

「あの日は……助けてくれて、ありがとう」

 カイトが一歩、近づいてきた。リョウは反射的に後退しかけて、踏みとどまった。

「助けたつもりはありません。ただ、体が勝手に動いただけです」

「そうか」

 カイトの唇が、わずかに動いた。笑ったのか、それとも別の何かなのか、リョウには判別できなかった。

「では、始めようか。調整を」

 カイトがソファに座り、リョウの隣に腰を下ろした。近い。あまりにも近い距離だった。カイトの体温が、空気を通して伝わってくるようだった。

「手を」

 カイトが右手を差し出した。掌を上に向けて、リョウに差し出している。

 リョウは自分の手を見た。震えていた。

 馬鹿げている。ただ手を繋ぐだけだ。それなのに、なぜこれほど緊張しているのか。

 リョウはゆっくりと、自分の手をカイトの掌に重ねた。

 触れた瞬間、電流が走った。

 いや、電流ではない。もっと複雑な何かだった。カイトの中にある膨大なエネルギーが、リョウの中に流れ込んでくる。同時に、リョウの中の何かが、カイトの中へと吸い込まれていく。

 エネルギーの交換。いや、融合。

 二つの存在が、境界を曖昧にしながら混じり合っていく。

「っ……」

 リョウは小さく呻いた。快感ではない。しかし苦痛でもない。ただ、圧倒的な何かに飲み込まれていくような感覚。

「落ち着いて」

 カイトの声が、遠くから聞こえた。

「呼吸を合わせろ。俺の呼吸に」

 カイトの胸が上下するのが、視界の端に見えた。リョウは意識的に、その呼吸に自分のリズムを合わせようとした。

 吸って、吐いて。吸って、吐いて。

 次第に、押し寄せてくる感覚の波が穏やかになっていった。まだ圧倒的だが、溺れるほどではない。

「そうだ。うまくできてる」

 カイトが呟いた。その声には、わずかな安堵が混じっていた。

 リョウは目を開けた。いつの間にか、目を閉じていたらしい。

 カイトが、リョウを見つめていた。至近距離で。その瞳の奥に、何か渦巻くものがあった。

「御厨」

「なんですか」

「俺のことは、カイトと呼んでくれ」

 唐突な要求に、リョウは戸惑った。

「でも、私たちは……」

「ペアだ」

 カイトが遮った。

「センチネルとガイドは、ペアになった瞬間から特別な関係になる。名前で呼び合うのが、普通だ」

「では……カイトさん」

「さん、はいらない」

 カイトの手が、リョウの手を強く握った。

「カイト、でいい」

 リョウは息を呑んだ。カイトの瞳が、異様なまでの強さでリョウを捉えていた。

「カイト……」

 その名を呼んだ瞬間、カイトの瞳の色が変わった。深い黒が、さらに深くなった。まるで、深淵を覗き込んでいるような。

「もう一度」

「え?」

「もう一度、俺の名を呼んでくれ」

 カイトの声が、掠れていた。

 リョウは戸惑いながらも、もう一度呟いた。

「カイト」

 カイトが目を閉じた。深く、息を吐いた。

「ああ……そうだ。その声だ」

 何を言っているのか、リョウには理解できなかった。しかしカイトの様子が、明らかに変化していた。

 繋いだ手を通して流れてくるエネルギーが、急激に増大した。今度は痛みに近い感覚があった。

「カイト、痛い……」

「すまない」

 カイトが目を開けた。その瞳は、先ほどより穏やかになっていた。

「コントロールする。もう少し待ってくれ」

 カイトは左手をリョウの頬に添えた。両手での接触。流れてくるエネルギーが、さらに増した。

 しかし今度は、痛みはなかった。カイトが何か調整しているのが分かった。流れをコントロールし、リョウが受け止められる量に制限している。

「君は……不思議だな」

 カイトが呟いた。

「何がですか」

「俺の能力を、こんなに自然に受け止められるガイドは初めてだ。まるで、·····················

 作られていた。

 その表現が、リョウの胸に引っかかった。

「私たちは、作られたわけじゃありません」

「そうだな」

 カイトは頷いた。しかしその目には、何か別の考えが浮かんでいるようだった。

「ただ……············

 カイトの親指が、リョウの頬を撫でた。ゆっくりと、慈しむように。

「カイト?」

「今日はここまでにしよう」

 カイトは唐突に手を離した。その瞬間、リョウの中から何かが失われた。まるで体の一部が切り取られたような、奇妙な喪失感。

「もう、終わりですか?」

「ああ。初回だからな。あまり長時間は危険だ」

 カイトは立ち上がった。しかし、リョウから視線を離さなかった。

「次は、二週間後だ」

「え? でも、月に一度だと……」

「変更になった」

 カイトは断言した。

「俺の状態を見て、医療チームが判断した。当面は、二週間に一度の調整が必要だ」

 リョウは何も言えなかった。カイトの表情は、交渉の余地を与えなかった。

「では、また」

 カイトは部屋を出て行った。

 一人残されたリョウは、自分の頬に手を当てた。カイトが触れた場所。まだ、熱が残っている気がした。

 二週間に一度。

 それは、契約よりも頻繁だった。

 なぜ変更になったのか。本当に、カイトの状態が不安定なのか。

 それとも――

 リョウは首を振った。余計なことを考えるな。これはただの医療行為だ。

 しかし胸の奥で、小さな疑念が芽生え始めていた。

 カイトの、あの目。あの声。あの触れ方。

 それは本当に、医療行為としての接触だったのだろうか。


 その後の調整セッションは、確かに二週間ごとに行われた。

 そして毎回、少しずつ変化していった。

 三回目のセッションでは、手を繋ぐだけでなく、額を合わせることを求められた。カイトの額がリョウの額に触れたとき、世界が一瞬、静止した。

 五回目では、抱擁が追加された。カイトの腕がリョウの背中を抱き、リョウの顔がカイトの胸に埋もれた。心臓の音が、直接聞こえた。速く、強く打つ鼓動。

 七回目では、ベッドに横たわることを提案された。

「効率を上げるために」

 カイトはそう言った。しかしその目は、効率以上の何かを求めているようだった。

 リョウは拒否できなかった。なぜなら、············

 カイトに触れること。カイトと繋がること。あの、世界が一つになる感覚。

 それは依存だった。生物学的な依存。

 そう自分に言い聞かせながら、リョウはカイトの腕の中で目を閉じた。

 カイトの体温。カイトの匂い。カイトの呼吸。

 それらすべてが、リョウの感覚を満たしていく。

「リョウ」

 カイトが囁いた。いつの間にか、互いに名前で呼び合うようになっていた。

「何?」

「気持ちいいか」

 唐突な質問に、リョウは目を開けた。

「何を言って……」

「調整が。気持ちいいか、と聞いている」

 カイトの顔が、すぐ近くにあった。黒い瞳が、リョウを映している。

「それは……」

 リョウは答えを探した。しかし正直な答えは、一つしかなかった。

「気持ち、いい……です」

 認めた瞬間、カイトの腕に力が込められた。

「そうか」

 カイトの声が、低く響いた。

「俺も、だ」

 その言葉の意味を考える間もなく、リョウの意識は深い場所へと沈んでいった。

 カイトの中に。カイトの存在に。

 溶けていくように。

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